芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「田中千雄の短歌」を読む

 この歌集を手にしたのは、こんないきさつがあった。……年内には、「芦屋芸術」から岩倉律子さんの詩集を出す予定だが、その岩倉さんから、「私の義兄の遺稿集で、ぜひよんでやってください」、そんなメッセージを添えてこの本が送られて来た。

 「田中千雄の短歌」 田中千雄著 発行者田中敬子、田中久雄 平成二十八年一月 私家版

 この歌集には、田中千雄(かずお)の短歌二百四十五首が収められている。出版に至った経緯は巻末に書かれた田中敬子(著者の姉)の「ごあいさつ」に詳しく書かれているので、それを参考にして戴きたい。
 私は著者とは一面識もなく、ただこの歌集を読んだ限りで推察出来る事を、以下に書いてみたい。というのも、二十歳前後の時、この著者と私は近似した経験をしている、そんなふうに思われたから。

 栄光を夢見た十九はやせっぽちショルダーバッグに革命理論(4頁)
 (註.栄光には、グロリア、とルビが打たれている)

 マルキストお前が逝きてかって来し茶房の二階五十九になったよ(48頁)
 
 「マルキスト」の作品は平成二十二年(2010年)の制作となっているので、その当時五十九歳であれば、著者は一九五一年生まれで、私より二歳年下である。そして、著者が十九歳の時は、一九七〇年である。七十年安保闘争の時期であり、多くの若者が街へ出て、安保反対のデモ行進をやったであろう。
 著者がどこまで深くこの闘争にかかわっていたか知るすべはないが、こんな短歌にその消息は現れている。平成二十年にこう書いている。

 友逝きて四年過ぎにしもどらざる胸のなかゆく列車のありし(34頁)
 (註.四年には、よとせ、とルビが打たれている)

 おそらく、この「友」は、かつての革命運動の同志と察せられる。かつての同志への寄る辺ないレクイエムである。また、平成二十四年に、こうも書いている。

 夢半ばなぜに逝きしやマルキスト共に見上げし雲忘るるな(65頁)

 著者は、スターリン主義や日本共産党を批判して世界革命を標榜した所謂「新左翼」のどこかの党派に属していたのだろうか。いや、無党派だったのかも知れない。何故なら、その頃、自立の思想的拠点を書いて若者に人気のあった吉本隆明が平成二十四年(2012年)八十七歳でこの世を去った時、著者はこんな歌を詠んでいる。

 来し方に千駄木あたり見かけにし二十五時なる吉本は死す(75頁)

 くどくど書いてきたが、所謂「団塊の世代」に属する私には、同時代人として、覚えず懐かしさがあふれてくるのだった。ただ、個人的には、こんな傾向の作品がいい、そう思った。

 ひと影をトランプのように押し並べ通過列車は一瞬にして去る(9頁)

 病院のネオンの灯る夕になり下町のビル縦横斜め(39頁)

 頭にはひとりあそびの玩具あり夕もすぎれば崩るるばかり(40頁)
 (註.頭には、なづき、とルビが打たれている)

 著者には挫折感の漂う直情的な作品が多い中、私には今あげたような作品の方が、優れている気がした。著者は晩年に至るまで、絶え間なく、行きどころのない絶望の歌を反復しているのではあるが、その裏側で、耐えがたい挫折感をふわっと虚空へ浮かべるような、先にあげた傾向の作品もあちらこちらに結晶させている。

 理髪店扉の向こう律儀なる人の坐りて刑を待ちにし(99頁)

 屈みいし水の上なるわが顔は不幸差し出す運命のよう(100頁)

 寒き真夜ストーブ焚きしケセラセラいつも歌いしあの娘を思う(102頁)
 (註.娘は、こ、とルビが打たれている)

 著者の作品から判断すれば、田中千雄という人は、平成二十六年五月十九日、ついに孤独死を迎えるまで、二十歳前後に経験した挫折と絶望を心の中で純粋に反復し反芻し、そこからの救済を願い、問い続けて、道半ばで倒れた歌人だった。