芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

滝沢克己の「『現代』への哲学的思惟」

 この本の著者は、一九五八年に洗礼を受けキリスト教の信者になっているが、一九三三年、二四歳でドイツに留学し、ボン大学でカール・バルトに学んだことがその発端だ、そう言って決して過言ではないと思う。ただ、ドイツ留学へ出発する前に、彼の論文を評価していた西田幾多郎の下を訪れて、「ドイツで哲学を学ぶならハイデガーより、神学者ではあるがカール・バルトがいいだろう」、そんな助言を受けてはいたが。

 また、微妙に区別しなければならないにしても、基本的には、著者はカール・バルトと同じ場所で生きている、そしてそれはイエスが立っている場所だ、ボクはそう確信している。例えば、著者が洗礼を受けた年の降誕節に、バルトがバーゼル刑務所で行った説教「われらと共にとどまりたもう」を一読しても、ふたりの根底とイエスとの深いつながりが明らかだろう。少し長くなるが、その説教の一部を引用する。

 

「すべてこのような、私たちの宿の扉が、このお方のために閉じられたままであり、このお方が私たちのところに立ち寄ることができないため、一切がもとのままだとしたなら、どうなのであろうか。おそらく、この家、このあなたがたが住んでおられる獄舎の中でもやはりそうではなかろうか。もし、このお方が全くほかの場所、全くほかの人びとのところーはるかに遠く、ひょっとしてアフリカやアジアに行かれるようなことがあったなら、どうであろうか。私は、この瞬間、日本にいる一人の愛する友のことを考えた、彼は最近、二五年もの長い間どうしようかと考えていた洗礼を受けたのである。今、彼は洗礼を受けたばかりである。ここから遠く、遠く離れているほかの人びとも同じく洗礼を受けていよう。しかし、もし、このお方が私たちの閉じられた扉は通り過ぎてしまうなら、どうであろう、それに対し、何と言ったらよかろうか。」(カール・バルト著作集第17巻244頁、新教出版社1970年9月30日初版)

 

 「『現代』への哲学的思惟ーマルクス哲学と経済学」 滝沢克己著 (三一書房1969年9月30日発行)

 

 この本はボクの二十歳前後の頃に深い印象を刻んだ一冊である。そもそもこの本にはちょっとした因縁があった。五つの論文で構成されているこの本の第一論文「万人の事としての哲学」は、この本に収録される以前、ボクは十八歳の時に既に読んでいた。

 というのも、ボクは哲学を独学するため、まず入門的なことを学ぼうとして、岩波講座「哲学」全十八巻を定期購読していた。その第一巻「哲学の課題」(1967年11月27日発行)にこの第一論文が発表されていた。その時、滝沢克己のいわゆる人間の原点、「神即人、人即神の不可分・不可同・不可逆の原関係」という言葉に触れ、名状しがたい感動を覚えたのを、今でも鮮明に記憶している。この論文は、滝沢の最もすぐれたものの一つだ、つまりこの原点が理解できなければ、滝沢哲学のすべてを理解していないことになる。特に、「神即人の不可逆の原関係」への諒解がなければ、このあたえられた存在の恵みに感謝して一日一日を暮らすことが困難な、不遜・傲慢な人間に転落する可能性がある。「不可逆」という文字はそういう人間への警告を表示する。

 ちなみに、岩波講座「哲学」の第十五巻「宗教と道徳」(1968年6月22日発行)は滝沢克己と小倉志祥が編者になっていて、滝沢は「現代の事としての宗教」という論文を発表している。ちょうど五十年ぶりにこの本を開いてみると、余程滝沢の言葉を精読していたのだろう、普段、本にアンダーラインを引くことがほとんどないボクが、アンダーラインを引きながら丁寧に読んでいる形跡を認めた。覚えず胸が熱くなってしまった。

 さて、本書、「『現代』への哲学的思惟」の根本問題は、ただ一点、マルクスが「資本論」において発見した人間労働の普遍性を、「経済原則」として資本主義経済の特殊歴史的な「経済法則」と明確に区別し、その両者の関係を精密に表現した宇野弘蔵の経済学、それをさらに一歩すすめ、「経済原則」成立の根底を厳密に表現せんとしたものである。

 フォイエルバッハがその著「キリスト教の本質」で明らかにしたように、人間は他の生命体とは違い、自らの本質を対象とする。すなわち、人間はまったく独立した個人でありながら、類として生きている、類として生きるべく決定されている。その類として生きている人間の精神の「疎外形態」がキリスト教だ、このフォイエルバッハが発見した事実をふまえて、やがてマルクスは資本主義における人間の物質的生産労働の「疎外形態」を発見し、経済学に研究を集中して「資本論」への道を歩く。類即個という人間の二重性は、マルクスにおいては、人間労働の二重性として、抽象的人間労働即具体的有用労働と表現される。滝沢哲学は、このフォイエルバッハの発見した事実、類即個、個即類の人間成立の根源の二重性を、さらに厳密に表現したものである。それは先にあげた「神即人、人即神の不可分・不可同・不可逆の原関係」と表現されている。興味のある方はすすんでこの書「『現代』への哲学的思惟」を読んでいただきたい。ボクの青春の貴重な一冊である。