芦屋芸術|芸術誌・現代詩・小説

クロソウスキーの「わが隣人サド」を読む。

 この著者の小説、「歓待の掟」と「バフォメット」をこれまでご紹介してきたが、今回はこんな論文のページを開いてみた。

 

 「わが隣人サド」 クロソウスキー著 豊崎光一訳 晶文社 1986年1月20日五刷

 

 この著作は初版が1947年、新版が1969年に出版されている。

 ハッキリ言っておこう。私は有神論者でも無神論者でもない。狭義に考えればこの無神論という概念は西洋思想に所属しているのではないだろうか。キリスト教信仰を軸にした中世封建社会が崩壊し、資本主義社会の成立過程の中で、キリスト教的価値観を否定した無神論者が出て来たのではないだろうか。

 だから、東洋の果てに住む私は有神論でもなく無神論でもなく、単に無宗教なのに過ぎなかった。少なくとも戦後この世に出た多くの日本人は生まれ育った家や学校で宗教教育を受けていない。神を信じることも否定することもなかった。そもそも私の心の中に神が座ってはいなかった。

 

 前置きが長くなってしまった。

 この本は、西洋の有神論と無神論の論理を、サドを中心に、ニーチェなども援用しながら、私の拙い目に映るのは、論理の複雑なカオスを編み拡げていく奇妙な織物だった。論理によって詩作品が成立している。そうであってみれば、つまり、この著者の心の内部のカオスに感銘するだけで、そうだ、それだけで無宗教者の私にも充分面白い読み物だった。

 例えば、一般常識的な世間知の社会は、男女の性別を認識して生きていく世界ではあるが、サドの場合、ソドミーによって成立するA感覚の世界であってみれば、男女の性別は消滅する。

 こういった論理を学ぶだけでもこの本を一読する価値はあるのだが、まして、すべての常識や社会的規範が崩壊した人間の内部世界を緻密な論理で探求するのに興味を持っている方なら、ぜひこの本を開いてみたら、いかが?