今週の水曜日、三月四日の夜のこと。
JR芦屋近辺にあるスナック。そこでアルバイトをしている四十代の女性。彼女とは何度かここで会っているが、その夜、こんな話になってしまった。おたがい、私は水割り、彼女はハイボール、かなりやり過ごして、何度もトイレに行きながら。
ボク Nちゃん、何か書いてくれない。あれこれお話ししたけど、Nちゃんならきっと面白い作品が書ける思う。
N子 ウン。小さい頃、詩を書くのが好きだった。けど、誰にも見せたことない。わたし、絵も音楽も好き。絵はピカソ。それに手作りでいろんなものを作って遊ぶのが大好き。作ったら、すぐに壊してしまうけど。今度作ったら、写真撮っておく。見せてあげる。
ボク まだ二十代の頃だけど、ボクはワイフと長男と一緒に東京に流れて何年間か暮らしたことがある。その時ブリヂストン美術館でピカソの天使の線画を見た。簡素で素直でとてもステキだった。
N子 素直っていいわね。わたし書くとしたら、世間のわずらわしい理屈なんて無視して、わたしの内から出てくるものを素直に書く。
ボク それがいいと思う。世間や常識なんて捨てて、自分の内から出てくるものを、今度出版する「芦屋芸術二十六号」にぜひ発表して。原稿の締め切りは四月末。Nちゃんには初めてのチャレンジだから、少しくらいお手伝いする。
N子 やってみる。お話してると、少し浮かんできた。
ボク なら、すぐスマホにメモしなきゃ。
N子 ちょっと待って。これからメモする。
ボク こんなことするなんて、ちょっとした趣味の世界だね。
N子 ええ、好きでやってる、趣味だよね。
ボク だけど、「詩」を書いたりしている人たちは、趣味と思っていない人だらけ。自分のやってることは「特別」なことだと思ってる。
N子 それどういうこと。
ボク うまくいえないけど。まあ、そうだなあ、好きでやってるくせに、自分のやってることが真実や心、あるいは魂かなあ、まあ、そういったものを表現してるんだ、だから、詩を書くって「特別な行為」で、「詩人」って「特別な人」だ、どうもそう思ってる人もいっぱいいるみたい。「人それぞれ」だから、どう思おうが人の勝手だけど。
N子 むつかしいこと考えるのね。詩人って普段はどんな生活してるの。ランボーが大好きな人は、ランボーを人に向かって語るけど、それじゃあ、ランボーみたいな生活してるの。彼にならって人生、送ってるの。
ボク 話は変わるけど、昔、ボクはゴルフを趣味にしてた。十二年前に亡くなったワイフと一緒に。楽しかった。彼女が生きてたら、詩なんてここまでやってない。彼女の方がずっとずっと好きだから。その頃ね、取引先の会社のオーナーでゴルフを趣味にしてる人がいた。片手シングル。ハンディキャップ3。ゴルフをやってる人なら、どれくらいスゴイことかわかるはず。このハンディを維持するために、毎日クラブを握ってた。正月でもゴルフ場。好きだから、ここまで走ってとことんやってる。だったら、「詩」を「特別な行為」だと信じてる人は、毎日ペンを持って作品を書き続けているのだろうか。
N子 Tさん、ごめんね。わたし、そんなの無理。書くって、遊びだと思ってる。わたしなんて、エライ人でも何でもない。わたしをじっと見て。スナックで働いている女よ。この世の片隅でひっそり生きてる女。でも、人が喜んでくれるステキな作品、書きたい。
ボク そうなんだ。確かにボクはまだいい作品なんて書けていないけど、それでも毎日「芦屋芸術」のブログに作品や書評などを投稿し続けている。他人が共感するいい作品が書きたくって、追いつめられたように、書き続けている。じゃあ、「詩」が「特別な行為」で「特別な人」がやってるんだと自負し主張する人たちは、毎日なにをしてるんだろう。きっとそれ以上の苦行を続けてるんだろうけど。
N子 世の中にはいろんな人が、いるのね。
ボク Nちゃん、なんでもいいから、思い通りに書いて。お願い。きっと、Nちゃん独特の、おもしろい「作品」になると思う。
*トップの写真は、けさ、寝室のシャッターをあげた時、木の枝にとまっていたスズメたち。南向きの部屋なので、逆光になってしまった。昨夜、金曜日の夜も阪神芦屋駅付近のスナックで飲んでしまった。帰宅したのは午前零時半ごろ。いつもより遅い起床。そのため、スズメたちは朝ごはんをまだか、まだか、待ち続けていたのだった。