芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

金井利博の「核権力ーヒロシマの告発」

 平和運動を持続させる、その運動を日常生活の一部として一日一日を送る、それは至難のわざであろう。ボクなどは、平和で楽しい時間を過ごすのはとても好きだが、民衆をかえりみない国家権力によって抑圧されたり破壊されたりした人々の救済のため、すすんで平和運動に参加した経験はない。繰り返して言うが、確かにボクは平和な時間が大好きだが、ただ、市民社会の片隅で自分と関係する家族や友人たちとともに静かで平和な時間を楽しんでいるに過ぎない。

 だが、この歳になって翻って思えば、戦後の経済中心主義の日本の中で、市民社会の片隅でささやかではあるが楽しい平和な時間を獲得することでさえ、困難な時代だったのかも知れない。

 

 「核権力―ヒロシマの告発」 金井利博著 「日本原爆文学第九巻」に収録 ほるぷ出版 1983年8月1日初版

 *この作品の初出は三省堂から1970年6月5日に出版されている。

 

 例えば、この著者が指摘しているとおり、広島や長崎の原爆被爆者で生き残ったが、その後、原爆症の後遺障害に苦しめられて想像を絶する人生を送った人々、あるいは現在なお送っている人々がいる。特に、その当時、非戦闘員で就労能力を喪失した人々は、戦後、日本国家で生活する所謂「棄民」の象徴だった。戦闘員の場合は、日本国家から軍人恩給が支給された。しかし非戦闘員の被災者は日本国家から見捨てられた。また、非戦闘員であっても原爆症が軽症で仕事が出来て収入がある人はまだ自力で生活が出来るので、「まし」だった。就労能力を喪失した人は、戦災ではありながら、恥を忍んで頭を下げて生活保護をお願いする道以外に、あらゆる道は閉ざされていた。言うまでもなく、原爆による顔面のケロイドのため、婚期を逸した多くの女性いた。そればかりではなかった。原爆症を発症していなくても、被爆しただけで、つまりあの当時広島や長崎の爆心地周辺にいただけでも結婚相手としては敬遠された。彼等に終戦はなかった。

 連合軍は東京空襲以後、日本中の都市を中心に焼夷弾のじゅうたん爆撃を繰り返した。日本は「一億玉砕」を闘争方針としていたので、米軍を中軸にした連合軍にとって、日本人全体が攻撃対象としての戦闘員だったのかも知れない。あるいは、ナパーム弾や枯れ葉剤で代表されるベトナム戦争でも明らかなとおり、日本人やベトナム人のような黄色人種は米国の権力者にとって人間ではなかったのかも知れない。いずれにしても、連合軍は、戦闘員・非戦闘員の見境なく虐殺した。その究極の姿が、広島・長崎の原子爆弾だったろう。

 この書は、こうした事実の詳細な分析も含めて、それでは、ボクラ日本人は過去にいったいどんな蛮行に走ったのか、それでは、ボクラ日本人はこれからいったい何をなすべきか、著者の力の及ぶ限り、全身で問い、自分なりの答えを出している。ボクラはこの貴重な書に接して、著者の姿勢をしっかり学ぶ時が来たのではないか。