芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

エジプト

11月9日から10日間、エジプトへ行ってきます。僕はあちこち海外へ行ってますが、丁度2年前の10月19日に中国へ行った時、まだ記憶に新しい、それとももう忘れちゃったか、2010年9月7日の尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件が発生した直後のことですが、西安で青龍寺へ寄りました。空海が2年間留学して「即身成仏」を発見したお寺です。その時、不図こんな言葉が脳裡へ浮びました。

尖閣諸島から
第三次大戦が出てきた

この言葉も含めて僕自身の終末世界作品「光る玉」を書きました。そこから「人泥」「進軍」という作品も出てきました。海外にいるとこんな自分との出会いもあります。おそらく空海のおかげでは。

最近の例で申しますと、滝沢克己という哲学者をご存知の方もおられると思いますが、、法律を勉強してもその前提する人間についてはさっぱりわからないと思い、東大の法科を辞し、九州大学の哲学科に転校。そこで書いた西田哲学についての論文に対して、彼は西田幾多郎から直接お礼のお便りをいただいたのでした。それが縁で、ドイツへ留学する際、京都の西田幾多郎を訪ね、どんな先生に師事すればいいかお尋ねした所、もちろんこれは戦前の話ですが、「ハイデガーにはゴッドがない。むしろ神学者ではあるがカール・バルトなどがいいのじゃないか」と教示されました。

さて、ドイツへ留学すると彼は西田先生のこの言葉をすっかり忘れていましたが、ある日、カール・バルトの講座があるというのを耳にし、西田先生の言葉を思い出して、バルトの講義を聴講。一瞬、この人だと悟り、師事したのでした。この場所から、滝沢克己は日本国内へ、「神即人、人即神の不可分・不可同・不可逆の原関係」をおみやげに持ち帰ったのであります。この文字の意味はご自分で勉強していただくとして、おそらくカール・バルトとの出会いがなければ<不可逆>という言葉は発語されなかったかもしれません。

直接カール・バルト著作集の教会での説教を読んでいただければ幸いですが、バルトは戦後滝沢克己が洗礼する時おおよそ次のような説教をしています。「いま、ある日本人が洗礼を受けようとしている。驚くべきことに、彼はドイツに留学して半年でギリシア語で聖書を読み、一年後には危機神学者と論争までかわした。その彼が、いま、日本で洗礼を受けんとしている。おそらくイエスはこのヨーロッパから歩み去って、日本の彼の地へ行かれたのかもしれない」、このような趣旨の説教だったと記憶しています。いずれまた、滝沢克己についてもう一度しっかり考えなければならない日が来るとは思いますが、今日のところは二十代の僕の記憶に頼って書いてみました。

話は思わぬところまで行ってしまいましたが、つまり、日本国内のことばかり考えていてそれを大切にするあまり、日本中毒を起こし、日本民族が最高、そんな固定観念がこびりついて、それ以外の考え方に対し極めて声高な威圧人間が飛び出してくる、そして、いつの間にか、日本は愛国無罪。

ツライ日々ガヤッテ来タ
俺タチハ言葉ヲ汚物ノゴトク垂レ流シ続ケタ

だからエジプトに行ってきます。