芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

未明に

 今夜は十二月二十九日、今年最後の忘年会だった。友人Nの家で五人の男が集まって酒杯を交わした。いつもお世話をかけているN夫人の手料理が出された。妻を喪って九年、私は一度たりとも夕食は家で摂らなかった。毎日、外食だった。朝と昼は自分で作っていたが、夜までは出来なかった。だから、N夫人の手料理が懐かしく、また、親しみのあるその味わいが私にはうれしかった。

 十時に散会したが、そのあと、友人のKとタクシーを拾って、阪神芦屋駅近辺にあるカラオケスナックに足を運んだ。所謂「団塊の世代」の私は西島三重子や丸山圭子、もっと古いところでは松尾和子など女性歌手好みで、今夜も彼女たちの歌を歌いながら閉店の十二時までカウンターの中の女性とおしゃべりを楽しんでいた。

 Kと二人で阪神芦屋のタクシー乗り場の待合室のベンチに座っていた。数人の客が既に待っていたが、タクシーが来ない。二三人の客が新たに並んだが、かれこれ一時間余りが経っている。待ちきれず、徐々に客は立ち去って闇に消えていく。とうとう二人きりになってしまった。

「歩いて帰ろうか」

 私達は待合室を出たところで別れた。私は南の芦屋浜の方角、彼は北の方の山手だった。

「来年もよろしく」

「いい年を」

 挨拶を交わし、たがいに反対の方角に向かって歩き始めた。

 もう十二月三十日の未明、一時半を過ぎていた。芦屋川沿いの道を急いだ。街灯から少し離れると闇があった。そんな道を歩き続けた。この町に住んで二十年になるが、この時間帯を阪神芦屋駅から徒歩で帰路をたどったのは初めての経験だった。一年の終わりに向かって歩いている気持がした。

 街灯と闇の中を歩き続けていると、とりとめもない言葉が頭に浮かんでいた。こんな言葉だった。……来年は桜の花は咲くのだろうか。そしてその花は、いつものように散るのだろうか。こんな言葉が頭から闇へ流れていくのだった。何故か不吉な予感がやって来た。胸騒ぎがするのだった。いっそのこと駆け出したくなった。既に二時が過ぎていた。