芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

水木しげる妖怪図鑑

ご近所のK子さんから入場券をいただいて、10月3日までの開催日だったので、9月30日に兵庫県立美術館まで足を運んだ。足を運んだ、といっても車で行ったのだし、僕は運転ができないので家内が運転して。

水木ファンにはとてもうれしい展覧会だろうし、僕は知らなかったがNHKの連続テレビ番組になっていたそうで、そのうえお化け屋敷めいた「ゲゲゲの森の大冒険」も併設されていて、子供から大人まで楽しめる仕組みになっている。事実、展示場はかなりの人混みでゆっくり作品を鑑賞する状況ではない。人混みが毛虫のようになってねとねと行進している。

僕はマンガが余り楽しめない性格らしい。小学生の頃もほとんどマンガは読んでいない。むしろ江戸川乱歩の「少年探偵団」の類の本を好んで読んでいて、手品に興味を持ち、小学校の卒業式では、体育館兼文化ホールの舞台でファンカードプロダクション(カードを美しい扇形に開いたり、なにもない空中からカードをつぎつぎに出現させる等)あるいはリンキングリング(継ぎ目のない直径30センチくらいの数本のリングをつないだりはずしたり、さまざまな形に組み立てたり)を演じた。なぜといって、手品の教則本の中でも特にルイス・ギャルソン著「ファンカードプロダクション」、ダイ・バーノン著「リンキングリング」を愛読し、学業そっちのけで、夢中になって練習していたのだから。

中学にあがってからも、手品の他にエレキギターにイカレて、リードギターをひいていた。そればかりではなかった。朔太郎の「月に吠える」や大手拓次の「藍色の蟇」なんかに熱中して、とても忙しくてマンガどころでなかった。ヒマさえあれば、ギターや手品を5時間でも10時間でも練習して。

水木しげる以外にも、かつてつげ義春や白土三平などがいて、マンガファンの友達がガロを貸してくれたりして、読んでみろ読んでみろとすすめられるままに読んでみたが、それ以上深入りする気にはなれなかった。
その頃、といっても数年ばかり後のことだが、「現代の眼」という雑誌があって、確か某詩人が「つげ義春」を絶賛したり、「現代詩手帳」で藤圭子を異様に評価していた。しかし僕は藤圭子も淺川マキも中島みゆきもやはり深入りする気はなかった。その詩人は中島みゆきについても「現代詩手帳」で熱っぽく語っていたが。

澄江堂主人曰く「我我の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。唯我我の好悪である。或は我我の快不快である。」

常設館の方に回ってみた。今回驚いたことに、展示室6に束芋の作品「Dolefullhouse」が新しく展示されていたことだ。黒いカーテンの奥が闇の世界で、既に作品が上映されている。house内部に家財道具を並べていく巨大な手の映像。並べ終わると洪水が発生してすべては流されhouse内部に空虚だけが残される。するともう一度同じ映像が上映されている。さながら「シジフォスの神話」のごとく。

ブラジル系日系人画家の展示室にも行ってみた。45点の作品は全て平成21年度赤川リカルド・タケシ氏が寄贈したという。その中で、僕は大岩オスカールの「雷雨」に注目した。雷雨降りしきる裏町、あたかも大洪水を予感させるような彼の黙示録。
最後に、またシーガルの「Rush Hour」の前で立ちすくんでしまった。シーガルの作品はもう一点兵庫県立美術館に所蔵されているが、係員の人に聞いてみると、今回は展示されていないということ。野外では雨が降り始めていた。