芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

Jの湿気

 確かに声は床から聞こえてきた。……

 この物体の前面上部には横長の楕円形になった穴が開いていて、そのまわりにクチビル状の人造肉が取り付けられている。音声を発する際、物体内部から穴を通って外部世界に湿った気体が送られるらしい。だが上唇部がケイレンして下唇部に絡み付くため、湿った気体は上唇部に突き当たり、逃げ場を失い、再び内部に逆流する。あるいは絡み合った両唇部のわずかな隙間から垂直に下方へ流れ、一時それは床にたまり、そこから周辺へ拡散する。だから床から意味不明の声が聞こえてくるのだ。

 この物体―より正確に言うなら噂の新型ロボット「J夫人」のことだが、ユーザーには知られたくない上唇部がケイレンする欠陥を隠ぺいするためか、魅力的な含み笑いを残して、今、私の部屋から立ち去ったところだ。だがしかし、私は私自身の指先でまだ床に残留しているネットリした湿気を撫でながら、証拠物件をつぶさに確認し、断言する。これは茶番だ!

 おそらく近日中に諸君にも「J夫人」が紹介されるに違いあるまい。従って、あらかじめ私は詐欺まがいの新型ロボットについてここに再確認しておきたい。

 しっかりとこの真実を直視してほしい。「J夫人」に内在するすべての関係物、すなわち前面上部・穴・楕円形・上唇部・下唇部・外部世界・逆流・物体内部・間隙・落下・床・声・部屋……これらすべての関係物がめくるめくようにただ一つの実在の上に収斂していくのだ。ただ一つの実在、もはや諸君に言うまでもあるまい。湿気を、「J夫人」が立ち去った足元の床に残されて今もささやき続けるあの恐るべき湿気を。