芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

大庭みな子の「浦島草」

 ひとくちに欲望といっても、食欲、性欲、金銭欲、権力欲、知識欲、名誉欲、快適生活欲、健康長寿欲などいっぱいあって、また、物欲といっても人間って各自さまざまなものをあれこれ物色するので、欲望とは何かを簡単に誰にでもわかるように規定するのは面倒な話であるが、さて、この物語は、性欲、とりわけ特定の人間関係にねったりまとわりつく異様な愛欲、もちろんその裏側にひそんでいる愛憎も含んで、千枚近い四百字詰め原稿用紙を駆使してまるで絵巻物の如く表現している。

 

 「浦島草」 大庭みな子著 講談社 昭和52年3月22日 第1刷

 

 雪枝、泠子、夏生という三人の女と、森人、龍、マーレックという三人の男それぞれの戦前・戦後の現象としての生活と、そこからわきあがる妄想が入り乱れて物語が展開する。背景には黎と洋一という男ふたり、あるいは、かつて関係した死者たち。これらの人々が、六人の男女の妄想に突き動かされて点在している。

 おびただしい戦前・戦後の現象と妄想が、この物語の最後に至って、一九七〇年代の日本の高度成長経済の中で、突然浦島太郎が玉手箱を開けたように、けむりになって消滅する。後には、夏生という女と重い自閉症者といわれる黎という男のふたりの愛の原型のようなものだけが、不安と闇の世界にただひとつの希望として残されている。

 一言付け加えて言えば、この作品も所謂「原爆文学」と言われているが、原爆はあくまで作品全体の現象と妄想のほんの一部分であって、物語の展開の中で、原爆で壊滅した広島で泠子と彼女の姑との愛憎、姑の死を熱烈に願望する泠子の暗い妄想と現実を描いている。ちなみに、原爆に溶解して、姑の死体は跡形もなかった。