芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

空海コレクション2

 空海は、こう言う。

「仏身、即ち是れ衆生身、衆生身、即ち是れ仏身なり。不同にして同なり、不異にして異なり」(『即身成仏義』から。本書104頁)

 砕いて言えば、ボクのような暗愚・痴情の徒が、即ち仏である、とこういうことだろう。あるいはまた、『法華経開題』では、ここまで言い切っている。

「この心と仏と衆生の三種は、一体の異名なり。この故に、経に『心・仏及び衆生、この三、差別なし』と云う」(本書107、108頁)

 

 空海コレクション2 宮坂宥勝監修 ちくま学芸文庫

 

 このコレクションには、『即身成仏義』(頼富本宏訳注)、『声字実相義』(北尾隆心訳注)、吽字義(北尾隆心訳注)、『般若心経秘鍵』(頼富本宏訳注)、『請来目録』(真保龍敞訳注)、そして空海コレクション1と同じく巻末に立川武蔵のわかりやすい解説が付いている。

 けれども、ボクは無宗教で、まったくの門外漢だから、これだけ丁寧な訳注や解説が付いていても、理解出来ない。そのもっとも大きな原因は、漢籍仏典はおろか、空海が解釈している梵字は意味不明、それに致命的なのは、生来ナマケモノのボク、空海が大切にしている「修行」にも背中を向けて歩いている。

「六大能く四種法身と曼荼羅と及び三種世間とを生ずる」(48頁)

 結局、ボクにはよくわからないけれど、少し現代風に言えば、過去・現在・未来にわたって存在している六大、つまり、地・水・火・風・空・識の大宇宙を、鏡のように映している曼荼羅という小宇宙、即ちそれはこのわたくしである、そういうことなのか。

「今、仏眼を以て、之を観ずるに、仏と衆生と同じく解脱の床に住す。此れも無く、彼れも無く、無二平等なり。不増不減にして周円周円なり」(243頁)

「草木また成ず 何に況んや有情をや」(259頁)

 ということは、これらの言葉に耳を澄ますと、ひょっとして、「修行する」ということは、修行したら仏になれるということではなく、本来仏でありながらその事実を忘却しているこのわたくしに、その本来の姿を想起させること、これが「修行する」ということではないのだろうか。

 ところで、もともと遣唐使に同行して長安へ行き二十年間滞在する予定だった空海が、二年余りで帰朝する。その時、貴重な仏典、曼荼羅、仏具等を我が国に請来するのだが、この始終を朝廷に報告するために空海が書いた『請来目録』をボクは興味深く読んだ。特に青龍寺の恵果和尚との出会いから別れまで、簡潔に書かれているが、空海のなみなみならぬ霊気さえ感じた。是非一読されたい。

 かいつまんで言えば、信じがたい話だが、恵果は一面識もない他国の空海がやって来るのを、心待ちに待っていた。恵果は初対面で空海にこう言った。

「我、先より汝が来ることを知りて、相待つこと久し。今日相見ること大いに好し、大いに好し」(本書441頁)

 恵果和尚は空海を後継者として認め、早く郷国に帰って、密教を流布して、万民の幸せを増すように努力せよと伝え、死去する。その時、空海は不思議な体験をしている。亡くなった恵果和尚の冥福を祈っている時。

「この夜、道場に於て持念するに、和尚宛然として前に立ち、告げていわく、『我と汝と久しく契約ありて、誓って密蔵を弘む。我、東国に生まれて必ず弟子とならん』と」(443頁)

 この時、ボクは空海に畏敬の念を覚えた。亡くなったばかりの恵果が弟子の空海に別れの挨拶と再会の約束をしたのに違いない。