芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ロベール・アンテルムの「人類」

 先日、ホルヘ・センプルンの「ブーヘンヴァルトの日曜日」を読んでいて、ブーヘンヴァルト強制収容所よりもその付属施設の労働収容所の方がさらに苛酷だった、そんなふうに書かれていた記憶が残っている。おそらく、この著者が収容されたキリスト教会のある「ガンデルスハイム」はそういった施設なのだろう。

 

 「人類―ブーヘンヴァルトからダッハウ強制収容所へ」 ロベール・アンテルム著 宇京頼三訳 未来社 1993年2月20日発行

 

 著者は一九三九年、作家のマルグリット・デュラスと結婚しているが、第二次世界大戦の際、彼女とともにレジスタンス組織に入り活動、一九四四年六月一日、両親のアパルトマンで妹のマリー・ルイーズやその他のレジスタンスたちと一緒にゲシュタポに逮捕される。彼の妹はラーフェンスブリック強制収容所から救出されたが、一九四五年五月八日、飛行機でコペンハーゲンに運ばれた日に衰弱死している。この著作「人類」の扉にはこう書かれている。「ドイツに強制収容されて死んだ、わが妹マリー・ルイーズに捧ぐ。」

 もう一言すれば、このレジスタンスの組織の長は後にフランスの大統領になるフランソワ・ミッテランだった。彼は脱走した囚人たちからアンテルムの生存情報を受けていた。しかし、ナチスの手から解放されたダッハウ強制収容所は想像を絶するほど衛生状態が悪化、チフスが蔓延していてあちらこちらに死体が散乱し、収容所を解放した連合軍でさえ作業がはかどらず、一九四五年五月、ミッテランとその同志たちが阿鼻地獄に化した収容所に侵入、死体置場の片隅で「フランソワ、フランソワ」という呻き声を聞いて瀕死の同志ロベール・アンテルムを発見、非合法の手段で救出、八百キロの道を車で飛ばし、奇跡的に彼はパリに生還した。

 さて、まず、ブーヘンヴァルト強制収容所とはどんな場所であったか、著者自身の言葉に耳を傾けてみよう。

 

 「ここでは病人はいない。生者か死者しかいないのだ。」(本書19頁)

 

 「ここでは、死と生と同一平面にあり、それも毎瞬時そうだった。火葬場の煙突は料理場の煙突の横で煙を吐いていた。我々がここに来る前には、生者のスープには死者の骨が入っていたし、死者の金歯はずっと前から生者のパンと交換されていた。死は恐ろしいほど、日常生活の回路に組み込まれていた。(本書20頁)

 

 このブーヘンヴァルトから労働収容所「ガンデルスハイム」へ移動するのだが、この収容所の状況もやはり、政治犯として逮捕された著者自身の言葉でここに刻みつけておきたい。

 

 「正しかったがために、肉体の復活をあてにしているのでも、その解放を待っているのでもない。今、生きて、屑として、我々の理性が勝利しているのだ。<中略>。諸君は人間の単一性を作り直したのだ。不退転の意識を作ったのだ。諸君はもう、我々を断罪しつつ、我々が諸君の代わりになりながら、同時に我々の立場にも立つようにさせられるのは、けっして期待できない。ここでは誰も自ら、自己自身のSSにはならないだろう。」(本書117頁)

 

 ここに言われている「諸君」とは、言うまでもなくSSを指す。そして、SSとは、言うまでもなく国家社会主義ドイツ労働者党の親衛隊を指す。アイケ将軍の考案になる髑髏マーク、ヒムラー率いる「黒いイエズス会」の一党だった。

 ボクは想像する、……そうだ、我々は朝、丸パン四分の一をかじり、少しだけ昼のためポケットに残し、夜、水っぽいスープを飲み、常に飢餓に苛まれ、とにかくゴミ箱であれ何であれ、パン屑でも野菜屑でも食えるものには死に物狂いで飛びつく、向こうでは八十キロだったがここでは三十五キロの骸骨だ、そうだ、我々は人間屑だ、屑を食べる屑、屑以下の屑だ、諸君、だから、我々は諸君に勝利したんだ、見ろ、もうほとんど死体に近いこの骸骨、しかし、我々は完全な屑になることを選択した、たとい銃殺されても、我々はSSにはならない、……アンテルムは心にそうつぶやいた。

 

 「我々の冒す真の危険は、妬みから友を憎み始め、現世欲に欺かれ、他人を見捨てることである。誰もそこから起き上がらせてはもらえない。こうした状況下では、いかなる純粋性も傷つけない形式的な堕落があり、またはるかに大きな影響力を持つ弱点もある。犬のように腐った野菜屑をあさる己を思い出し、そこに自己を認めることができるのだ。逆に、友と当然分かつべきものを分かたなかった時の思い出は、さきの行為を疑わせさえするかもしれない。良心の過ちは『堕落する』ことではなく、堕落が万人のもので、万人のためにあるべきことを見失うことである。」(本書126頁)

 

 ところで、毎日、夜明けから夕暮れまで強制労働に明け暮れ、「冬中、外は氷点下二〇度で朝丸パン四分の一か五分の一だけで、昼の四分の一の汁以外、夜までは何もなかった」(本書210頁)状態で、いったい言葉とは何だったろう。

 

 「フランシスは海のことを話したがった。ぼくは反対した。ことばは魔法だ。海、水、太陽は、肉体が朽ちかけている時には、人を息苦しくさせるものだ。そうした言葉や、あのMという名で、もう一歩も歩こうとせず、起き上がろうともしなくなる恐れがあるのだ。」(211頁)

 

 言葉の魔法、つまり、「詩」を喚起する言葉を収容所で生き残るために断念する、とにかく生き残るために「詩」ではなく腐った野菜を食べ、明日の朝もまた目覚め、立ち上がり、丸パン四分の一をかじり、五列に並び、点呼され、SSに取り入って政治犯を管理する側に回った普通犯の囚人カポに殴打され、蹴り上げられ、打ちのめされ、ふたたび強制労働に出発するために。

 こうした状況下において特筆すべき事ではあるが、この本の著者ロベール・アンテルムに、ある夜、収容所の小屋から外に出て、谷や木々の闇に沈む自然に向き合っている時、聖なる直感がやって来る。

 

 「我々が種を変えることを歴史的使命とするなどと信ずるのは、SS的夢想であり、<中略>、すなわち、数種の人類ではなく、一種の人類がいることである。彼らが最後に敗北するのは、この種の単一性を問題にしようとしたからである。<中略>。それが、ここでは、獣は贅沢であり、木には神性があり、我々は獣にも、木にもなれない。<中略>。つまり、『SSも我々と同じ人間にすぎない』と考え、<中略>、世界におけるこの単一性を隠蔽し、人間存在を被搾取者、奴隷の状況におくものすべてが、まさにそこから多様な種の存在を必要とすることは、偽り、狂気の沙汰であること。我々はここでその証拠、それも反論の余地なき証拠を握っているが、それは、最悪の犠牲者でも、死刑執行人の権力は、最悪に行使されても、人間の権力のひとつ、つまり殺人の権力以外の何ものでもないことを確認するだけのことだからであること。死刑執行人は人間を殺せるが、彼を別なものに変えることはできないのだ。」(291~292頁)

 

 アンテルムは生還後、一九四七年までにこの書を書き終えた。そしてその後、終生、強制収容所について沈黙した。読み終えたとき、ボクはこんな夢想に落ちていた。……ひょっとしたら、「アウシュヴィッツ」以後、すべての存在者、獣も、木も、野の花も、空の鳥も、そして人間も、絶対他者としてたがいに神聖であること、すなわち、神なき福音の時代がもう始まっているのかも知れない、と。