芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ケルテース・イムレの「運命ではなく」

 この書は、アウシュヴィッツで十四歳の少年が十六歳と偽ってガス室送りを免れ、強制収容所で労働者として一所懸命に苛酷な状況に適応して生き抜くけなげな姿が描かれている。

 

 「運命ではなく」 ケルテース・イムレ著 岩崎悦子訳 国書刊行会 2003年7月29日初版

 

 驚くべき事だが、この書は、苛酷な強制労働に生きながら、少年の素直な眼で、同じ労働者や、看護人や、医師たちの人間味あふれる行為を描き、また、その行為に感謝し、喜び、幸福な気持ちになっている少年自身の姿を描いている。すなわち、強制収容所の極限状況の中で、それにもかかわらず沸き起こるさまざまな人々の愛情を十四歳の少年のみずみずしい眼が見つめている。そして、強制収容所から解放された少年はこの作品の最後で読者にこう語りかける。

 

「僕たちには、当然、乗り越えられないような不可能なことはないし、僕の行く道に何か避けられないわなや幸せが僕を待ち伏せしていることももうわかっている。だって、まだあそこにいた時ですら、煙突のそばにだって、苦悩と苦悩の間には、幸福に似た何かがあったのだから。僕にとっては思い出として、たぶんその体験が一番深く残ったものなのに、誰もが嫌な出来事や<恐ろしいこと>しか訊ねてくれない。そうだ、いずれ次の機会に誰かに質問されたら、そのこと、強制収容所における幸せについて、話す必要がある。(本書277頁~278頁)